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「学を衒うこと」について

ショートエッセイみたいな感じです。貴重な数分を無駄にしたくないという方はブラウザバックを。

「衒学」だとか「学を衒う」などといった言葉は、一般的に否定的な文脈で使われることがかなり多いですね。しかしながら、僕にはそのような状況がいまいちよく理解できません。

個人的には、少なくともリスペクトや好意を抱いている人間には、多少衒学的であってほしいと思っています。というのも、学を衒うという行為は、その人の知的なバックグラウンドに関する情報を与えてくれるからです。「僕が好きなこの人はこんなことを知っているのか」「尊敬するこの人はこんなカルチャーに触れているのか」という情報は、少なくとも僕にとっては大きな刺激です。世の中にあふれる学問・文化・情報を取捨選択しながら摂取していくためのチャートになってくれるものです。

確かに「衒う」あるいは「ひけらかす」といった行為は、自己顕示欲求から生まれてくるという側面があり、そのような行為が好まれないというのも理解できます。ですが、人間であれば、自己顕示の欲求をもつのは当然でしょう。たとえば、ブランドものの服を見せびらかしたり、友達が多いことをアピールしたり。衒学徒は、自慢するものがたまたま知識であったというだけの話です。ことさら衒学が批判されるいわれはありません。そもそも衒学への批判は、(学者だとか、よほどの知識人によるものでない限り)知への嫉妬みたいな側面もあるんじゃないか。自分が知らなかったことを知ることができた、ラッキーくらいのゆとりを持っていたいものです。

かなりめちゃくちゃな文章になっちゃったかな。

まあ適度に衒学、していきましょうということで。おしまい。